家族愛に思わず泣ける!本当にあった心温まるストーリー3話

家族愛に思わず泣ける!本当にあった心温まるストーリー3話

いつもそこにいることが当たり前で、普段は特にその存在価値を考えたり、愛されていると認識したりすることはあまりない、家族という存在。時には鬱陶しく思ったりけんかをしてぶつかりあったり、いなくなればいいとさえ思うことも、誰でも一度ぐらいはあったはずです。でも、自分では気づかなくても家族は必ず思い合っています。親子愛、兄弟愛、夫婦愛、ペットへの愛、一言で家族愛と言っても色々な形がありますが、命の危機に面した時に気付く大きな愛、普段の何気ない日常シーンにふと感じるさりげない愛、私たちはいつも誰かの愛に包まれているのです。ここでご紹介する3つのストーリーは実際に私が見聞きした実話です。家族愛にあふれた素晴らしい毎日を送っている方に共感していただけることはもちろん、最近家族とどうもギクシャクしている、という方にもぜひ読んでいただきたいお話です。



 

家族愛に思わず泣ける!
本当にあった心温まるストーリー3話

 

阪神淡路大震災、最期まで思いあった父と息子


1995年1月17日午前5時46分、当時私が住んでいた神戸市を含む阪神淡路地域に大震災が発生しました。幸い私の住んでいた地域は一部の古い家屋が半壊した程度の被害ですみましたが、友人が多く住む地区は、後に友人が所属するサッカーチームの練習の際、「全壊チーム対全焼チームに分かれようぜ」とちょっと不謹慎な冗談が通用するぐらいの大きな被害を受けました。その友人が、震災当日救出活動に参加した時の話です。大勢の人が、倒壊した家屋の下敷きになった若い男性を救出しようと必死の活動をしていました。その父親は、息子を見失わないようにとロープを握らせて、「絶対助けるから。頑張れ!」とずっと声をかけていたそうです。でもなかなか救出できないまま、周辺にも火の手が迫ってくるのがにおいや熱さで嫌でも感じられるようになった時、男性はみんなに逃げるように言いました。当然父親は息子を見殺しにすることなどできるはずもなく、最後まで何とか息子を助けようとその場を離れることはありませんでした。でも、いよいよすぐそばまで火が近づいてきた時、男性はロープを放り投げ、「親父、生きろ!」と叫んだのを最後に何も言わなくなりました。父親は半狂乱だったそうですが、周りの人たちに引きずられるようにしてその場を離されていきました。自分の最期を悟った息子が、自分が亡くなった後も父親に生きてもらいたいと願ったのだと思います。その父親がどうなったのか、たまたま救出活動を手伝っただけの友人にもわかりません。心に負った傷が癒えることは決してないでしょうが、最期の瞬間まで父親を思った息子の愛を受け止め、懸命に生きていると信じます。

高校1年の初めてのお給料


高校1年の冬休み、生まれて初めてアルバイトをした友人。初めての給料は現金で2万円弱。彼女はその中から父親に50円玉をあげました。父はとても喜び、娘が初めて稼いだお金だからと、キーホルダーにつけてお守りにすると言ってくれました。その頃は家族仲良く、楽しい毎日を過ごしていたのですが、その数年後、父の浮気が発覚し、彼女の家庭は音を立てて崩壊していきました。何度も家出を繰り返し、度々帰ってきては母に暴力をふるう父、父が作った借金の取り立て。そんなひどい毎日でしたが、父が帰ってきた時には妹と二人できるだけ普段通りに振舞おうとしていました。しかし、彼女とはなかなかうまくいかず、父娘はお互いに自分は嫌われていると感じていたそうです。それから数年後、ようやく父親は帰ってきましたが、彼女が結婚して家をでるまで、心から父と和解することはなかったそうです。結婚後も何度となくお金をせびってくる父に、もういなくなってほしいとまで思っていた彼女でしたが、ある時父親のカバンの中に、あの時のキーホルダーをみつけました。10年近く持ち歩いていた50円玉は、すっかりすり減ってつるつるになっていました。「まだ持ってたの?」と聞くと、「一生使わないって言っただろ」と言う父。それまで、絶対許せないと思っていた彼女でしたが、ほんの少しだけわだかまりが解けたような気がしたと言っていました。すると、その頃から父がお金をせびってくることもなくなり、それどころか孫にプレゼントを買ってくれたり、時には食事に連れて行ってくれたりするようになったそうです。お互いにうまくいかないと思っていた二人でしたが、心の奥底ではやはり思いあっていたのです。その事をあの時ほんの冗談のつもりであげた50円玉が思い出させてくれたのかもしれません。

祖父から聞いた思いがけない言葉


母が父と結婚したのはまだ19歳の時。父も21歳と若かったのですが、その時にはすでに祖父は70歳、祖母も60歳と高齢になっていました。祖父母にとって父はとても大切な存在で、母はいつも辛く当たられていたそうです。でも、母は子ども達に祖父母を嫌いになってほしくないという思いから、私たちが小さいころに愚痴を聞かされたことは一度もありませんでした。何か理由を見つけては泊りがけでやってきて、母に何の遠慮をすることなく自由に生活していたことを覚えています。それでも母は一度も嫌な顔をすることはありませんでした。私たちが母の苦労に気付いたのは自分で物事が判断できるようになった中学生の頃だったと思います。私が高校3年生の時、祖母が入院したことをきっかけに祖父の認知症が発覚、進行し同居することになりました。父は弱っていく父親の姿を見るに忍びなかったのか外出することが増え、母が仕事を掛け持ちしながら祖父の世話をしていました。数か月後、祖父は入院したのですが、母が休みを見つけては片道2時間以上かけて一人でお見舞いに行っていたようです。入院直後は談話室などに出歩いていた祖父でしたが、しばらくするとベッドに寝たきりになり、お見舞いに行っても母が誰だかわからなくなっていきました。そんな時、母を嫁だと認識せずに何気ない世間話を始め、母に向かって「息子の嫁が良くしてくれるんや…」と言ったそうです。母は、涙が止まらなかったと言います。それまでの20年近くの出来事はすべて吹っ飛び、一生懸命やってきて本当に良かったと思ったそうです。今、私も結婚し義両親と近くに住んでいます。とてもよくしてくれるので母のように辛い思いをすることはありませんが、私も母のように「 嫁が良くしてくれる」と思ってもらえるようになりたいと思っています。

 

いかがでしたか。
色々な形の家族愛のストーリーでしたが、相手を強く思う気持ちはどんな形であっても必ず伝わると、実感していただけたのではないでしょうか。家族に愛されているという自信は、人を強くし、優しくさせると私は思います。最近家族と連絡をとっていなかったな、優しくしてなかったな、と思い当たることがあれば、この機会に少し行動を起こしてみてはいかがでしょうか。たった1本の電話でも、家族はあなたの愛を感じることでしょう。

まとめ

家族愛に思わず泣ける!本当にあった心温まるストーリー3話

・阪神淡路大震災、最期まで思いあった父と息子
・高校1年の初めてのお給料
・祖父から聞いた思いがけない言葉

 

彩~Sai~